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これまでの「弘前福音キリスト教会通信」を読むことができます

「ユーモア」で議場の空気を一変させた宣教師

 時々見るテレビの国会中継で、国権の最高機関である国会の論戦が、議論の内容よりも攻撃的な言葉が飛び交うだけの場になり、議論の仕方を倣いたいと思えるような場にはなっていないことがあります。その原因のひとつに、本来品位を持って語るべきはずの人までもが(続きを読む)

明日のことを心配するのはやめなさい

 日本だけに留まらず、アジアの国にまでヒットした「北国の春」という曲があります。「こぶし咲くあの丘 北国の春 ああ北国の春」と、雪どけの後の北国の春のすばらしさが謳われています。ここ津軽でも、春が来ると先を争うように一斉に草花が咲き誇ります。‥(続きを読む)

わさおが暗い過去と決別できた理由

 「ブサイクだけどかわいい犬」という意味の「ブサかわ犬」として全国的に知られるようになったわさおですが、現在のわさおとは別の犬のように毛が抜け落ちてしまった時期があることを東奥日報社のブログ「わさお通信・今日のしっぽ」が写真入りで紹介しています。‥(続きを読む)

お母さんにささげられた星野富弘さんの「心の詩」

 花の詩人、星野冨弘さんの「愛、深き淵より。」には、壮絶なお母さんとの二人三脚の闘病の様子が記されています。二度目の気管切開手術の後には、「また第一歩からやり直さなければならないのかと思うとたまらなくなりました。(続きを読む)

朝のりんご公園・すり鉢山で読んだ聖書

 先週の土曜日の朝のウォーキングコースは、弘前公園が「弘前さくらまつり」の出店などの後片付け中であっため、弘前福音キリスト教会から同じくらいの距離にある「りんご公園」にしました。‥‥(続きを読む)

花の詩人・星野富弘さんが文字を書きたいと思った理由

 中学の教師時代、クラブ活動指導中に脊髄損傷となる大怪我をして文字を書けなくなっていた星野冨弘さんが、口に筆を加えて文字を書きたいと思うようになったのは、転院をし淋しい生活を送っていた友人を励ますための「寄せ書き」に‥(続きを読む)

人に注目されていない「日常」の中で、輝く存在に

 今年の「弘前さくらまつり」も5月6日で閉幕。今年は平年よりも一週間ほど桜の開花が早く、ゴールデンウィークが始まる前にソメイヨシノは葉桜になっていました。そのために平年に比べると今年のGW中の人出はかなり少なかったようです。それでも午前7時には‥(続きを読む)

「弘前さくらまつり」美しい花筏(はないかだ)」アルバム

 弘前公園の「弘前さくらまつり」の魅力のひとつは、散った桜の花びらが濠の水面に浮かぶ「花筏(はないかだ)」となることです。もし弘前公園に濠が無ければ、人々の足に踏みつけられ、その役目を終えてしまう桜の花びらです。しかし‥(続きを読む)

「もう一度弘前の桜が見たい!」と旅立った女性

 日本ではじめて「ホスピスプログラム」をスタートさせ、2500名の患者の最後を看取った柏木哲夫先生が「上を見る、神を見る」と題して、ある中年女性のことを「いのちのことば」5月号に記しています。その女性から‥

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ハクチョウの旅立ち「人はどんな境遇でも輝くことができる」

 昨日の朝土淵川の遊歩道をウォーキング中、上空で鳥の大きな鳴き声がしたので見上げるとハクチョウが群れをなして北の方向に向かって飛んで行きました。思わず持っていたカメラを‥(続きを読む)

 

弘前城天守が20センチ持ち上がった写真

昨日、天守を曳屋するために、午前10時から「地切式」が行われ、葛西弘前市長の合図で400トンの天守が5分ほどかけて27台の油圧ジャッキによって10センチ持ち上げられる工事が二度行われ、合計20センチ土台から持ち上げられました‥(続きを読む)

とうとう天守が百年ぶりに移動した!

 上の二枚の写真は、昨日の朝8時と午後2時30分に撮影したものですが、一見すると同じ写真のように見えます。しかし実際には左の方向に天守が3メートルほど移動した‥(続きを読む)

 

史弘前城天守曳屋終了の全国ニュース
弘前城天守の長い旅は(水平移動)終わった

 弘前城天守曳屋のニュースは青森県の地方テレビニュースの枠で放映されることが多く、ぞれが全国ニュースになっていのが確認できないのですが、東京や札幌から来た方から「弘前城のニュースを見ましたよ」と言われると、やっぱり全国ニュースにもなっていたのだと‥(続きを読む)

2015年9月3日午前9時から水平移動が始まった弘前城天守は、10月17日朝10時過ぎ、新しい仮の土台の真上にまで移動し、長い旅が終わりました。これから天守をジャッキダウンさせ、10月24日に「着座」させ、曳屋工事を終えることになります‥(続きを読む)

 

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